
奈良時代の始まり : 平城京遷都の意義と影響
平城京への遷都(せんと)とは?
710年、元明天皇により藤原京から平城京(奈良)へ都が移された【平城京遷都】。唐の長安をモデルとした碁盤目状の都市は、政治・文化の中心として約80年間繁栄し、奈良時代の幕開けを象徴します。「平城京」「遷都」「奈良時代」は重要なキーワードです。都の移動は日本の歴史における大きな転換点であり、律令国家の確立と仏教文化の隆盛をもたらしました。
どうして平城京に都を移したの?
- もっと広い都が必要だった
人口が増え、政治を行う場所として藤原京が狭くなってきた。 - 長く使える都を作りたかった
昔は天皇が亡くなると都を移すことが多かったが、安定した政治をするために長く使える都がほしかった。 - 中国(唐)の都をまねしたかった
当時、日本は中国(唐)からたくさんの文化を学んでいて、唐の都・長安(ちょうあん)を参考にして大きな都を作った。
平城京はどんな都?
- 東西約4.3km、南北約4.8kmの広い都
- 朱雀大路(すざくおおじ)という大通りを中心に、きれいに区画(くかく)された町
- 平城宮(へいじょうきゅう)という宮殿(きゅうでん)があり、天皇が住み、政治が行われた
- 東大寺(とうだいじ)、興福寺(こうふくじ)などの寺が建てられ、仏教が発展
なぜ平城京から別の都に移ったの?
平城京は74年間(710年~784年)続きましたが、桓武(かんむ)天皇の時代に新しい都に移されました。
- 784年:長岡京(ながおかきょう)に移る(藤原種継(ふじわらのたねつぐ)の暗殺などの事件が原因)
- 794年:平安京(へいあんきょう)(今の京都)に移る → 平安時代の始まり!
平城京の意味
平城京は、日本で初めて計画的につくられた本格的な都でした。政治だけでなく、仏教や文化も発展し、日本の歴史に大きな影響を与えました。
まとめ
- 710年、元明天皇が平城京に都を移した。
- 唐の長安を参考にした、広くて立派な都だった。
- 約74年間、日本の政治・文化の中心だった。
- 794年、平安京(京都)に遷都し、平安時代が始まった。
簡単にいうと、平城京は日本で初めての大きな計画都市で、政治や文化の中心だった!ということですね