
弥生時代:稲作と金属器が変えた暮らし
カテゴリー:縄文・弥生・古墳時代/弥生時代
弥生時代とは?
弥生時代は、紀元前10世紀頃から紀元後3世紀頃までの時代です。この時代には、稲作が始まり、金属器や弥生土器が使われるようになりました。また、集落が発達し、小さなクニ(国家)が生まれた時代でもあります。
1. 弥生時代っていつから?どこから名前がついたの?
弥生時代という名前は、東京の「弥生町(やよいちょう)」で発見された「弥生式土器(やよいしきどき)」に由来しています。この土器は、それまでの縄文土器(じょうもんどき)よりもうすくて硬く、シンプルな形をしていました。
2. 弥生時代のくらしの特徴
① お米作り(稲作)が始まった!
- 水田(すいでん)を作り、お米を育てるようになった
- 木や鉄のくわ・すき(農具)を使い、農業が発展した
- 収穫したお米を貯めておくことで、くらしが安定した
② 金属の道具が使われるようになった!
- 青銅器(どうたく・どうけん) → お祭りや儀式(ぎしき)で使われた
- 鉄器(農具や武器) → 実際の仕事や戦いに使われた
③ 村が大きくなり、「国」ができ始めた!
お米作りが広がると、村どうしでお米や道具のやりとりが始まりました。
- 村と村がまとまり、「クニ(国)」 ができるようになった
- 強いリーダーが生まれ、くらしをまとめるようになった
- 戦いが増え、防御のために「環濠集落(かんごうしゅうらく)」が作られた
例:吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)(佐賀県)では、まわりに「ほり」を作って守られた大きな村が発見されています!
3. 邪馬台国(やまたいこく)と卑弥呼(ひみこ)
弥生時代の終わりごろ(3世紀ごろ)、邪馬台国(やまたいこく) という国が登場しました。そして、この国をおさめていたのが女王・卑弥呼(ひみこ) です。
- 卑弥呼は、中国の「魏(ぎ)」という国に使者(ししゃ)を送った
- 中国の歴史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」にその記録がのこっている
- 邪馬台国があった場所は「九州説」と「近畿説」があり、今もナゾのまま!
4. 弥生時代から次の時代へ…
弥生時代が終わると、日本では「古墳時代(こふんじだい)」が始まります。この時代になると、リーダーのお墓(古墳)が作られるようになり、やがて「大和政権(やまとせいけん)」が日本をまとめていきました。
5. まとめ
- お米作りが始まり、村が発展!
- 鉄の道具や青銅器が使われるようになった!
- 村がまとまり、「クニ(国)」ができた!
- 邪馬台国と卑弥呼が登場!
弥生時代は、日本のくらしが大きく変わった時代でした。お米作りが始まったことで人口が増え、強いリーダーが生まれたのです。
次の時代、古墳時代 へとどうつながっていくのか、考えてみるのも面白いですね!