
金閣寺を建てた足利義満|室町幕府の立役者
足利義満とは?金閣寺を建てた将軍のすごい功績
足利義満(あしかが よしみつ)は、室町幕府の3代将軍で、日本の歴史の中でもとても有名な人物です。義満は「金閣寺(きんかくじ)」を建てた将軍としても知られ、室町時代の政治・経済・文化を大きく発展させたリーダーです。
足利義満はどんな人?|10歳で将軍に
義満は1358年に生まれ、2代将軍・足利義詮(よしあきら)の子どもです。父が亡くなったことで、10歳という若さで将軍になりました。
はじめは周りの大人たちが政治を助けていましたが、大人になるにつれ、義満自身がしっかりと政治を行うようになります。
南北朝の統一を成しとげた将軍
当時の日本には、2人の天皇がいる「南北朝時代(なんぼくちょうじだい)」という混乱がありました。京都にいる「北朝」と、奈良の吉野にいる「南朝」が争っていたのです。
義満はこの争いを終わらせ、1392年に南北朝を統一しました。これにより、日本の中の混乱がしずまり、幕府の力も強くなりました。
明(中国)との貿易|勘合貿易のしくみ
足利義満は、外国との交流にも力を入れました。特に中国(当時の「明(みん)」)との「勘合貿易(かんごうぼうえき)」が有名です。
「勘合」とは、正規の貿易船であることを証明する札(ふだ)のこと。これを持った船だけが貿易を許され、中国と日本の間で商品をやり取りしました。
この貿易で、日本は経済的に大きく発展し、中国の高級な品物もたくさん入ってきました。
金閣寺を建てた!|北山文化の代表
足利義満は文化の発展にも大きく貢献しました。その代表が、京都にある「金閣寺(きんかくじ)」です。金閣寺は、義満の別荘をお寺に変えたもので、今も人気の観光スポットです。
この時代の文化は「北山文化(きたやまぶんか)」とよばれ、能(のう)や茶の湯(ちゃのゆ)なども広まりました。義満は、能の観阿弥・世阿弥親子を支援して、能楽が武士のたしなみになるきっかけを作りました。
天皇より上に立とうとした⁉
足利義満は、自分の力をとても強くし、「日本国王(にっぽんこくおう)」と名乗ったこともあります。これは将軍なのに、まるで天皇のようなふるまいだったため、朝廷からはよく思われませんでした。
そのため、義満が亡くなった後には「日本国王」という名前を使うことが禁止されました。
足利義満の死とその後
義満は1408年に50歳で亡くなりました。息子の足利義持(よしもち)が将軍になりますが、義満ほど積極的な政治は行いませんでした。
義満の時代が室町幕府の最も栄えた「黄金時代」といわれているのは、彼の努力によって日本が安定し、発展したからです。
まとめ|足利義満のすごさとは?
- 10歳で将軍になり、政治をおさめた
- 南北朝の争いをおさめて、天皇を1人にした
- 中国との貿易(勘合貿易)を成功させた
- 金閣寺を建てて、文化を発展させた
- 将軍として、日本を大きく動かした人物
足利義満は、歴史の授業でもテストにもよく出る重要人物です。金閣寺といえばこの人!と覚えておくといいですよ。